子育てもパートナーシップも自分Styleで♥️ ジャカルタ、バンコク経由シンガポール在住のファミリーセラピストが、海外在住者ならではの旬の情報を綴り、輝くHappy Lifeを応援します♪


by Treasure Box

辺戸岬

5日間連続、しかも9時から16時まで立ちっぱなし・・・と言う学校も、今日で4日目を終了。

朝、主人のお弁当を作り、学校と会社へ送りだしたあとは、夕方は塾などもあるので、夕飯の準備・・・
宿題を見たりと「ママ」の仕事もあるので、なかなかブログの更新も出来ないでいたのですが、
今日はラッキーなことに、同じ学校でマッサージを習う方のテストのモデルになることに~(^^)/
真剣さが伝わって来ましたが、疲れた体に嬉しいプレゼント!あと1日、頑張る気力が湧いてきました♪


さて、オクマ二日目は沖縄北端に広がる「美ら海」と「やんばるの森」を体験することに。
ゆっくり起きた朝は、朝食で今日一日のパワーをチャージ!
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JAL オクマリゾートのサーフサイド・カフェで朝食を。外でいただくと海風を肌に感じ、リゾート気分がさらにUP!
こちらはワンちゃんと一緒に食事をとることができるんですよ♪
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オススメはこのオムレツ。国頭郡大宜味村の木酢玉子で作られたオムレツなんです。

自然に囲まれた鶏舎で、美味しい水と木酸酢を加えた飼料を与えた健康な鶏が生んだと言う卵は
昔ながらの香りがするそうで、いつもの卵よりもコクと甘みがあるんだそう♪
オムレツには、沖縄名物の海藻のアオサ入り!コクがあって、とっても美味しいオムレツでした(^^♪
シークゥワーサージュースや、紅芋が練りこまれたパンなどをいただいて、体いっぱいに元気をチャージ。


美味しい朝食の後は、まずは沖縄最北端と言う「辺戸岬 (へどみさき)」へと向かいます。
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ここは沖縄の最北端の地。いわば、ここが復帰前は一番日本に近い土地だったのです。
与論島まで22kmとすぐ近くですが、1972年に復帰するまではこの向こうの北緯27度が国境でした。
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バリやタイでもいくつもの海を見ている我が家ですが、こんな深い色の青い海は初めて!
断崖に波が打ち寄せて、自然の力強さを感じずにいられません。

茅打バンタの北側に位置する辺戸岬ドームは、世界的にも珍しい海底の鍾乳洞で、
ダイビングスポットとしてよく知られている場所だそうなのです。
辺戸岬は、太平洋と東シナ海に面する岬で、沖縄海洋国定公園に含まれていて
お天気がよい日は、22km離れた奄美群島の与論島や沖永良部島を望むことができるそうです。


そして、この地に立つのがこちらの「祖国復帰闘争碑」
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ご存じのとおり沖縄は、第二次世界大戦の後、1972年まで米国に占領されていました。
祖国復帰を願った沖縄の人々は、一年に一度、辺戸岬の広場で集会を開き、夜には篝火を焚いて、
同じように篝火を焚く運動を支持する、本土である与論島の人々と呼応し合っていたそう。。。
そして、 1972年に復帰を記念して立てられたのが、この「祖国復帰闘争碑」
「闘争」と言う言葉が胸を突きましたが、まさに沖縄の方々にとっての思いがこの言葉に込められいます。


なぜ、沖縄がアメリカに占領されたかと言うと、いろんな説があるかと思いますが、
アメリカは当初、琉球人は日本帝国主義に支配された異民族であると認識しており
日本本土の一部でなく、日本が武力で制圧した島だと考えたとのこと。
また沖縄人は自ら政治、経済を行えないという先入観から、沖縄人の自治能力を過小に評価していたために
沖縄における民主化に対して消極的であった言うことも伝えられているようです。

アメリカ軍は演習地や補給用地、倉庫群などの用地として、次々に集落と農地を強制的に接収し
特に現在の宜野湾市の田園地帯と伊江島では集落ごと破壊され、大規模な土地接収が行われたり
サンフランシスコ条約締結以降、軍政府は沖縄の本土復帰を唱える団体や運動を弾圧、
さらに米軍兵による事件が相次ぎ、住民に反米感情が高まっていきました。

本土復帰までの道のりは長く、そして険しいものであったようです。
時は過ぎベトナム戦争がはじまり、ベトナムへの基点としての役割が大きかった沖縄で、航空機事故が勃発。
不当な扱いを受ける市民の怒りは静まらず、アメリカ軍政下に置くことは適当でないと内外に広めることに。

そして、1969年の日米首脳会談で、リチャード・ニクソン大統領がベトナム戦争の近年中の終結を鑑みて、
日米安保条約の延長と引き換えに沖縄返還を約束しましたが、県民の強い期待とは全く裏腹に、
アメリカ軍基地を県内に維持したままの返還が決定し、1972年5月15日に沖縄は日本へ復帰することに。


こちらの石碑には、このような沖縄の方々の気持ちが刻まれています。。。
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祖国復帰闘争碑  全国のそして全世界の友人へ贈る。

吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。
打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。

「鉄の暴風」やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、
一九五二年四月二八日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬された。

しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、
全世界の人々に訴えた。

見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、二七度線を断つ小舟は船出し、
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まえている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。
一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。

しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。

闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために
警鐘を鳴らさんとしてある。



「この碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるものでもない」
この言葉が沖縄で第二次世界大戦の爪跡を見てきた後だけに、強く心に刺さります。

第二次世界大戦では「本土」の犠牲、大戦後はアメリカ軍の占領、そして復帰後も残される基地問題・・・
沖縄返還は実現したものの、まだまだ課題は多く残されたままなのです。
現在も米軍専用施設面積の約74%が沖縄県に集中し、沖縄本島の19.3%が基地に占められたまま。

たびたび引き起こされるアメリカ兵による事件が日米地位協定によってうやむやにされ、
1995年(平成7年)の沖縄米兵少女暴行事件の際は大規模な抗議行動が行われました。
復帰時に経済の「本土並み」がスローガンでしたが、振興政策は公共事業中心の建設業の投資ばかり。
道路や箱物ばかりが立派になったと揶揄され、日本で最も安い地域別最低賃金が設定される県のひとつ。
失業率と人口あたり倒産件数は全国最高レベルになっているそうです。

また、2009年に成立した鳩山由紀夫政権は、宜野湾市市街地にある普天間基地を県外に移転することを
事実上の選挙公約としたが、就任後は鳩山首相の発言が二転三転し、最終的に公約を破る形で辞任・・・
この状況では、沖縄県民の方が「喜び、勝利」を感じられるわけがない
私たち、日本人が心にとめなくてはいけない真実がここにありました。

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「世界が平和でありますように」 「May Peace Prevail On Earth」 他にもフランス語などが・・・。
言語や人種が違っても、心に願う祈りは一つです。
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まだ学生らしき外国人の方々が。楽しそうな彼らの姿に遠い昔の自分を見るようで、とても微笑ましい。
まだ心が純粋で柔かく、いろんなものを吸収して母国へ帰るだろう彼らが
この日本から世界に広げる「平和への祈り」を、自国に持ち帰り広げてくれることを切に願います。


このあとはドライブで、沖縄最大級のパワースポットと言われる、神々の降り立つあの場所へ。
写真にもそのパワーのすごさがしっかり残っていたので、ぜひ皆様にもお裾分けしたいと思います♪




「辺戸岬」
沖縄県国頭郡国頭村辺戸
Tel:0980-41-2101(代)国頭村役場企画財政課
by treasure-bkklife | 2012-08-22 23:54 | Okinawa