子育てもパートナーシップも自分Styleで♥️ ジャカルタ、バンコク経由シンガポール在住のファミリーセラピストが、海外在住者ならではの旬の情報を綴り、輝くHappy Lifeを応援します♪


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あやぐ食堂

長~い首里城見学のあとは、子供たちから「お腹が減った~ 早くして~」と大クレームが(^_^;)
ハイハイ、こんなことになろうとママは思っておりました。これも織り込み済みでございます。

首里城から車で10分以内、美味しく豊富なメニュー、ボリューム満点、もちろんお値段は安い!と言う
地元の方にも愛されていると言う、こちらのお店へ。
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創業25年、地元の方からも愛されているお店のあやぐ食堂でございます。

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この日もお昼時とも重なっこともありますが、お店には人がいっぱいでした!
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看板通りにメニューもいっぱい!やはり沖縄料理と言えば・・・と言うアレを食べに来たのでございます。


お店の名前の「あやぐ」とは、宮古の言葉で、「綾事(あやごと)」、「美しい言葉」や「唄」と言う意味だそう。
美しい言葉や唄のように、心に響くお店作りを心がけているとのことなんです。

お客さんには地元の方が多いのですが、「本当に美味しい店を知っている」と言われるタクシーの運転手さん
学生さん、仕事のお昼休憩の方を始め、数々のガイドブックでお紹介されているせいか観光客の方なども。
お店は満員でしたが、回転が速いのですぐに順番が来たので嬉しかった♪


そして、お料理が来るのも3分ぐらいと速かった!沢山歩いて、お腹が減った身にはとても嬉しい❤
今回は「沖縄料理の量」を学習して、4人で三品をオーダー(^_^;)
それでも、一つ一つがこんなに多い量で、これまたビックリ!
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そば定食 そばの量もさることながら、お刺身、チキンカツ、ご飯、お味噌汁までもついちゃうんです。
ご飯は普通のお茶碗の2杯分はあろうかと言う盛り具合!しかもビックリの570円ですから!!!
これはお腹が空いた学生さんがかわいそうだからと、どんどん品数や量が増えていったそうなんですよ♪
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思っている以上に、あっさりしている沖縄そば。麺もラーメンとうどんを足して二で割ったような感じかなあ。
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こんなお刺身もついて、この値段ですから(^_-)-☆ 子供たちに全部完食されてしまいましたが・・・
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チキンカツは揚げたてで、口の中でジュワーッと肉汁が染み出てきましたよ♪


そして、こちらでいただきたかったのは、こちらでございます♪
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ゴーヤチャンプルー定食 こちらもお刺身などもついてお得な感じ。
沖縄料理の代表格ですもの、地元の味を食べなくちゃということで。
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ゴーヤの苦みもさほど気にならず、ベーコンから出るうま味がしっかりとしたお豆腐にも浸み込んで。
想像で作っていたゴーヤチャンプルー思っていた以上に薄味の塩味で、ゴーヤの本来の味が活きてる!
バンコクでもロイヤルプロジェクトで、日本と同じゴーヤを見つけたので、ぜひ作ってみたいと思います♪


そして、気になるお料理を見つけたので、ぜひ試してみようということに!
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へちま味噌煮定食 これは本当に美味しくて、お気に入りに~ ぜひ一度、試していただきたいお味です。
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ヘチマのとろ~っとした感じに、甘目のお味噌がよく絡まって美味しいんです♪
バンコクもトカドヘチマを使って、卵と一緒に炒めるお料理がありますが、ちょっと泥臭さを感じる時も。
でも味噌煮にするとその泥臭さも消えて、美味しくいただけるのではないかと。


ゴーヤチャンプルー、へちまの味噌煮とも、夏季限定のメニューだそうでございます。
旬のパワーたっぷり、ウリ科の夏野菜のをたっぷりいただいて、食べ過ぎたお腹にもデトックスなったかな~
沖縄の地域色溢れる、地元の方に愛されるお店を2軒ほど周り、庶民の味を知れて大満足でした♪


ここから車で2時間半、高速を使って沖縄北部へと。
子供連れの家族にも嬉しい魅力がいっぱいのホテル、そしてやんばるの森へと向かいます!



「あやぐ食堂」
那覇市首里久場川町2-128-1
Tel:098-885-6585
9:30am-10pm
Mapはこちらから♪
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by treasure-bkklife | 2012-08-13 23:45 | Okinawa

首里城 ・ 玉陵

バンコクは只今三連休中ですが、我が家は自宅で寛いでおります。
新しい家には日本の番組が見れるインターネットTVを引いたので、日本のTVにはまっているのです(笑)
BS、CSも見れて、やっぱり日本のTVは面白い!子供に時間の制限をさせるのが戦いですが(^_^;)


さて、沖縄記の続きに戻りたいと思います♪
お料理教室の翌日は、「沖縄に来たらここは、やっぱりここは外せない」と、言うこちらへ。
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世界遺産でもある、首里城でございます。
首里城は、琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と外交、貿易を展開した
首里王府の司令塔として、王とその家族等が住み、華麗な王朝文化に彩られた空間です。

こちらの写真は守礼門。
「守礼(しゅれい)」は「礼節を守る」という意味で、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味だそうです。

首里城は石垣と城門の多い城ですが、この守礼門は中でもデザイン上バランスがとれ、
エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」で、中国風の牌楼という形式で建立されています。
庶民は愛称として、「上の方にある美しい門」という意味で「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼んだそうですが
やはりTVや写真でもよく見たことがある、この守礼門を見ると「沖縄にキター!!!」と、テンションもUP(笑)


ところで、首里城に来るにはあたっては、昨年の「中国旅行」の反省がありました。
大人には楽しい中国観光旅行、世界遺産でもある万里の長城、民の十三陵、紫禁城などもりだくさん!
しかし子供にとっては「世界遺産、それが何か?」と言うところ(^_^;)
万里の長城など長~く歩く道も多く、「つまんない~」 「疲れた~」 「帰ろう~」の三連発(^_^;)

そこで、今回はNHKで放映していた、仲間ゆきえさん主演のドラマ「テンペスト」を見せることに。
彼女が男のふりをして、宦官役を演じている時、「どうしてみんな、女って気が付かないかな~」と
子供たちからもスルドイ?ツッコミなどがありましたが、このドラマに二人ともはまりました!
これが功を奏し、ドラマの場面を思い出しては、「ここは寧温が~したところだったよね!」と、意気揚々と(笑)

しかも首里城見学で、嬉しかった誤算が首里城入口でいただいたスタンプラリー!
娘はポケモンラリーよろしく、全部集めるのだと大はりきりで、一番先頭に立って歩くではありませんか。
最近カメラマニアの兄は、自分のスタンプラリーは全部妹にやらせて、撮影にかかりきりでしたけど(^_^;)
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こちらの首里城公園では、沖縄の民族衣装を着て記念の写真を撮っていただくことも出来るんです♪


子供たちもはまったそのドラマ、「テンペスト」でも繰り広げられた「琉球王国」とは
琉球王国とは、今から約570年前の(1429)に成立し、約120年前(1879)までの間、
約450年間に渡って、日本の南西諸島に存在した王制の国。

北は奄美諸島から南は八重山列島までの琉球諸島には、約3万2千年前から人類が住んでおり
琉球諸島には、日本の鎌倉時代に当たる12世紀頃から一定の政治的勢力が現れはじます。
各地に豪族が現れ、互いに抗争と和解を繰り返しながら、次第に整理・淘汰されていき、
1429年尚巴志(しょうはし)が統括し、はじめて統一権力を確立したのが、琉球王国の始まりだそうです。

その後、独自の国家的な一体化が進み、中国をはじめ日本、朝鮮、東南アジア諸国との外交・貿易を通じ
海洋王国へと発展するが、琉球王国の歴史の中では、一度だけ大きな政権交代があり、
この政権交代以前の王朝を「第一尚氏王統」、それ以後を「第二尚氏王統」と呼ばれています。

この第二尚氏王統は、初代国王から数えて19代目の国王の時代まで(約400年)続くのですが
その間、1609年に日本の薩摩藩が3000名の軍勢をもって琉球に侵攻、そして首里城を占拠し、
それ以降、表向きは中国の支配下にありながら、内実は薩摩と徳川幕府の従属国という微妙な関係の中
やがて日本の明治維新により成立した日本政府は、1879年(明治12)軍隊を派遣し
首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放し沖縄県の設置を宣言、ここにおいて琉球王国は滅亡したのです。


そんなドラマを思い出しながら、子供たちもはしゃぎながら次々と回っていきます。
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こちらは世界遺産になっている園比屋武 御武石門です。

琉球石灰岩で造られた建造物で、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所だそうです。
形は門になっているものの、人が通る門ではなく、いわば神への「礼拝の門」ともいうべき場所なのです。
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歓会門(かんかいもん)
首里城の城郭)内へ入る第一の正門で、「歓会」とは歓迎するという意味なのだそう。
往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれ方などが、
こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられたそうです。
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沖縄旅行中、何度もであったシーサー。
門の両側には一対の石造のシーサー、獅子像がありますが、これは魔除けの意味で置かれているそう。

階段をどんどん上がっていくと、幾つもの門が見えてきます。
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瑞泉門 瑞泉(ずいせん)とは「立派な、めでたい泉」という意味だそうです。
門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれていて、それにちなんでこのように名付けられたそう。
そう言えば「瑞泉」と言う名の泡盛があったなあと思いだしましたが、やはり水つながりなんでしょね。
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これが龍樋。龍の口から湧水が湧き出して、この水は王宮の飲料水として使われていたそう。

子供たちは「寧温のおじさんが、すいかをここで冷やしていたじゃない!」と
ドラマのシーンを思い出し、大興奮!母は記憶力が悪いのか、すっかり忘れてしまっていたけれど(^_^;)
樋(ひ)は川や泉から水を導く長い管、溝、そして屋根の雨水を受けて地上に流す掛け樋などのことだそう。

この水は、中国皇帝の使者・冊封使(さっぽうし)が琉球を訪れたときにも、
那覇港近くにあった天使館(てんしかん)という宿舎まで、毎日ここから水を運んだと言われている貴重な水。
娘が手を出して飲もうとしたので、「ダメ!ダメ!」と母は思わず叫び声を(>_<)
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漏刻(ろうこく)門 中国語で「水時計」という意味だそうです。
門の上の櫓に水槽を設置して、水が漏れる量で時間を計ったといわれているそう。
時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が同時に大鐘を打ち鳴らし、
城内および城外に時刻を知らせたそうなんですよ。
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広福(こうふく)門。「福を行き渡らせる」という意味の門は、建物そのものが門の機能をもっていています。
門前は城内でも眺めの良いところで、眼前には遠くの緑や海までの景色が広がります。
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首里城から見渡す風景、昔の方々はどんな思いで見つめていたのでしょうか。

そして、ここまでの部分は無料。この中からは有料になるのです。
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役人の恰好をしたこちらの方が、さらに琉球王朝時代の旅へ気分をいざなって下さいますが
暑い中、大変だろうな・・・とお察しいたします。

門をくぐると、目の前に広がるのはこちらです。
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こちらが首里城正殿。
ドラマでもこの龍の目が光り、力がみなぎり生きているように動くシーンが度々ありました!
石階段、柱や梁など龍の彫刻が多数施されていますが、龍は国王の象徴であるそうで
たくさんの龍が首里城には棲んでいるのです。

正殿は琉球王国最大の木造建造物で、国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)とよばれて
文字通り、全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物。
木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場
二階は「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場であり
三階は通気を目的とした屋根裏部屋だったそうです。

この正殿、右手の南殿・番所、北側の北殿は、「御庭(うなー)」と呼ばれる首里城の中心部。
これらに囲まれた中庭広場の空間を「御庭」といい、 年間を通じて様々な儀式が行われた広場なのです。

御庭には(せん)と言う、タイル状のものが列をなして敷かれていますが、
この色違いの列は儀式の際に、諸官が位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていたそうです。
その中でも中央の道を「浮道(うきみち)」といい、国王や中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)などの
限られた人だけが渡ることができたそうなんです。


そして御庭こちらから正殿・南殿の方に向かいますが、中には絵画などの重要な文化財もあるので
一部は撮影禁止となっております。

正殿・南殿の中などは靴を脱いで上がるのですが、なぜかこちらの方に「Please Take a shoes」と・・・。
えっ、日本人に見えなかったってこと?と、一瞬茫然、キョト~ンと(~_~;)
何だかとても気恥ずかしいので、こんな時は「Okay!」と、ガイジンですましてしまうことに決定(爆)

バンコクでもよく間違えられることがあるのですが、日本で日本人から間違えられたのは初めて。
しかも英語で話しかけられたのは私と娘だけ。。。やっぱり立ち振る舞いのせいなのかしらん(^_^;)
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書院・鎖之間はきらびやかな正殿とは対照的に、建物と庭園が一体となって落ち着いた雰囲気が。
今までの建物と違った雰囲気で、和の香りを感じられます。

鎖之間は王子などの控え所であって、また諸役の者達を招き懇談する広間がある建物です。
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奥には裏御座(うらござ)と言われる茶室があり、御鎖之間(おさすのま)の裏座にあたり
お茶を点てて客人に振る舞っていたそうなんです。
 
そして現在は鎖之間でいにしえの賓客がおもてなしを受けたように、
私たちも琉球のお茶菓子で接待を体験でき、いい思い出になりそうですね♪
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美しい庭園は、書院・鎖之間と一体をなす重要なもので、城内で唯一の本格的な庭園。
書院に招かれた冊封使たちは、この庭園の魅力を讃える詩を詠んだそうですが
実は沖縄県内のグスク・城の中で、庭園があったことが分かっているのは首里城だけなんだそうです。

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正殿の中に向かって歩いていきます。
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こちらは、国王が座る玉座で、 御差床後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)が。
国王はその階段を使って2階から御差床に出御します。

この風景は見たことがあるな・・・と思っていたのですが、やはり昨年訪れた紫禁城でみたものでした。
琉球王国と中国との関係が、深いものだったと言うことを伺わせます。
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正殿の床下に、ガラスで透けた部分にこんなものが。

首里城の正殿の創建年は14世紀末頃とみられていますが、ほぼ同位置で数度の焼失・再建が。
現在の建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに
1992年(平成4)に復元したもので、この床下に見えるものは沖縄戦で焼失した首里城の一部。
こんな美しく貴重な文化財も、戦争によって失ってしまうのですよね。。。
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ここには王様の冠も展示され、美しさに見とれてしまいましたが、重さで首が凝らなかったのかと心配も(笑)

そして最後に以前の北殿であり、今では資料などが展示されている場所へ。
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いにしえの琉球時代を、ミニュチュアで表されて。これだけ多くの役人がいた王国だったのですよね。

北殿はかつては北の御殿(にしのうどぅん))議政殿(ぎせいでん)とも呼ばれていたそうで
通常は王府の行政施設として機能し、表15人衆という大臣や筆者、役人等が働いていたところです。
パネルなどで首里王府の位置やしくみ、冊封式典(さっぽうしきてん)などを解説し、映像による展示もあって
子供にも分かりやすく、首里城見学の最後のまとめになって勉強にもなりました。


そして、首里城を後にして、徒歩で5分ぐらいのもう一つの世界遺産へ。
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この玉陵(たまうどぅん)も世界遺産の一つ。
これには「うどん~」と、やはりお決まりのように子供たちは喜びましたが(失礼しました<(_ _)>)
「陵」「殿」は「うどぅん」、「城」は「グスク」など、沖縄の言葉を「何となくそうかな・・」と想像したりして。
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この奥には壮大な陵墓が。
こちらもドラマで主人公の兄が墓守をし、いくつものシーンに出た場所なので、子供たちもワクワクと。
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玉陵は1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれて、第二尚氏王統の陵墓なったもの。
墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋で、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、
西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られたそうです。

こちらも首里城と同じく沖縄戦で大きな被害を受けましたが、3年余りの歳月をかけて修復工事が行われ
往時の姿を取り戻して今日に至っているそうですが、その壮大さに息をのんでしまいました。


首里城、そして玉陵とも、子供はもちろん大人もドラマで予習していたので
昨年の史跡観光と一味違って、ドラマのシーンも思いだしては、ぐっと身近なものになりました。
子どもたちにとっても「歴史を知って訪れる」のとそうでないのでは、物の見方も変わってきて楽しかったよう。
何より「帰ろう、帰ろう~」がなかったのが、史跡観光をゆっくり楽しみたいパパやママにとっては嬉しかった❤

決してNHKの回し者ではありませんが、首里城を訪れる際には
「テンペスト」をご覧になってから見学されることを、体験談からオススメします(笑)




「首里城公園」
沖縄県那覇市首里金城町1-2
Tel:098-886-2020
・入館料金・開園時間はこちらから♪ → 
・交通アクセスなどはこちらから ♪ → 


「玉陵」
那覇市金城町1-3 
Tel:098-885-2861
9am-6pm(入場締め切り 5:30pm)
入館料   
個人
  大人 300円
  小人(中学生以下) 150円
団体
  大人  240円
  小人(中学生以下) 120円
by treasure-bkklife | 2012-08-13 00:21 | Okinawa
牧志公設市場の見学のあとは、よんなーフードを主宰される嘉陽かずみ先生のお教室に伺いました。
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涼しげな素敵なテーブルコーディネートで出迎えて下さいました!
やはりテーブルコーディネートは、「お客様をおもてなしする心」なのだと改めて感じます。
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マンションの一室をお教室にされて。こんな素敵なお教室を見ると、将来の夢がますます膨らみます❤


嘉陽かずみさんは、テレビ・雑誌等のスタイリストとして活動後、
沖縄にある松本料理学院 松本嘉代子氏の助手を務め、フードコーディネーターへ転身。
2007年には気軽に愉しみながら琉球料理を習得できる「ヨンナーフードクッキングスタジオ」開設されました。

「ヨンナー」とは沖縄では「ゆっくり」と言う意味だそうで、琉球料理は手間と時間をかけて美味しくできるもの。
気長にゆっくり料理を愉しむ「沖縄式スローフード」を楽しむお教室です。

フードコーディネーターもされている先生のお料理はとても美しく、ネットで見て惚れ込んでしまいました❤
バンコクからメニューについては、琉球宮廷料理と庶民料理の両方を、図々しくもいろいろと希望して(笑)
先生がフルコースのメニューを考えて下さいました。


私が今回、どうしても習いたかったのは、こちらを使ったお料理でございます。
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先ほど牧志公設市場で買った三枚肉。こちらを使うといえば、やはり沖縄宮廷料理の「ラフテー」です。
我が家も豚の角煮は主人も子供も大好物で、ママの十八番となっているのですが
ぜひ本場のラフテーを習ってみたい、そう思っていたのです。

沖縄の三枚肉はバンコクと同じく、豚の皮つきでございます。これには初めはビックリしたなあ~
バンコクでもときどき皮に毛が残っていることがありますが、このように包丁をこそげて毛を取り除くそうです。
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下茹でし、一度冷まして鍋の上にあるラードをとったものを使います。この時点で冷凍も出来るので便利。
タイ米から作られる泡盛や、鰹だし、しょうゆ、砂糖でコトコトと、再度2時間近く煮てきます。

私は時間がない!と圧力釜で煮てしまうことが多かったのですが、この柔かさに感動することに。
やはり煮物は「時間も美味しさの一つ」なんですよね~


そして下茹でした三枚肉を使って、こちらの「沖縄の炊き込みご飯」も作ります。
宮廷料理であり、沖縄の炊き込みごはんのクファ ジューシー
「クファ」とは固い、「ジューシー」とは炊き込んだご飯を言うそうです。
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ラフテーはきちんと形を美しく切り落とすので、その端を使った三枚肉、椎茸、にんじんを
豚だしと鰹だしのお出しを使って、鍋で炊き上げていくのです。
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沖縄は「だし」の文化がしっかりと根付いていて、どちらもだしのお味を感じるお料理が多かったです。
「豚だし」はコンソメでも代用できると、先生が後からメールも下さいました❤
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おいしそうに炊きあがったクファ ジューシー。この香りはたまりません(#^.^#)


野菜ソムリエ的には、一番気になったのはこちらの一品。
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沖縄野菜の「ハンダマ」 水前寺菜とも呼ばれているそうで、牧志公設市場で購入したお野菜です。
さっと茹でて冷水にとって冷やし、酢味噌和えにしていきます。

ハンダマは沖縄で古くから栽培されていて、お浸しやみそ汁の具としてよく食べられているそうです。
キク科の爽やかな香りがして、加熱するとヌメリが出るのが特長。
葉の表は緑、裏は紫色なのですが、これは目に良いとされているアントシアニンが含まれていて、
他の栄養素としては鉄分やβ-カロテンが多く含まれているということで、栄養価も高いお野菜のよう。
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ハンダマの水気を絞るとピンク色の汁が!これもあとでジュースにされるのです。
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沖縄のお味噌のイナムルチ。西京味噌のような甘みがたまりません。
お味噌も様々な種類をお料理によって使いわけるようで、沖縄でいろいろな味噌煮を沢山いただきました!
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イナムルチの酢味噌と和えると、ピンク色に染まってカワイイの❤


そして、タイでもいただくことができる、青パパイヤを使ったお料理が登場。
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この青パパイヤを千切りする「シリシリ器」を使って細く切っていきます。
この「シリシリ」はすりおろすような擬声語から来ているようです。

この千切りで「パパイヤイリチー」を。我が家も青パパイヤは煮物にしたり、きんぴらにしたりするので楽しみ♪
ちなみに「イリチー」とは、炒めたあとにだし汁を使って煮ていく料理で
「チャンプルー」とは季節の野菜と豆腐+肉で炒めることが多いそうです。
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沢山のパパイヤを炒めるのは力も使うので、パパの登場!
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細いパパイヤを炒めたあとに汁で煮ていくので、青パパイヤも柔かく、子供でも食べやすいお味に。


吸い物には、沖縄名物の「アオサ」が登場。
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緑色の優しい色合いの海藻ですが、収穫して2・3日は天然、他は乾物になったアオサを水で戻して使うそう。
しっかりと水気を絞ったアオサを、お椀に入れてスタンバイ。
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これも沖縄名物の「島豆腐」をかつおだしで温め、塩・醤油で味付け。
精進料理で使うことが多く、こちらの吸い物も法事で使われるので、あっさりとしたお味だそうです。


さて、最後に登場したお野菜は、「チャンプルー」で知られる、あのお野菜。
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そう「ゴーヤ」をすり下ろしているところです!これをムースのソースにしてデザートになることに。
これは先生のオリジナルレシピだそうですが、どんな風になるのか楽しみ♪
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娘がムースを作っているところです。
プレーンヨーグルト、クリームチーズ、そして沖縄と言えば!のシークワーサーも入ってさっぱりしたお味に。


さて、みんなが待ちに待った、「沖縄の夕ご飯」が出来上がりました~(^^)/
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子供たちやパパが頑張って作ってくれました!目にも美しいお料理に仕上がって大満足!!!
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私たちに先生が、目にも美しい、沖縄らしいジュースを作って下さってました♪

手前のかわいいピンクのジュースは、ハンダマの絞り汁とシークワーサーのジュース。
奥のジュースはゴーヤの絞り汁とシークワーサのジュース。両方ともさっぱりといただけて美味しかった♪

一番楽しみにしていたのは、やはりこちら♪
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宮廷料理の「ラフテー」 一口いただいて、ひっくり返るかと思うほどの美味しさ\(◎o◎)/!
そしてこのツヤ、照り、美し過ぎる~と、感嘆しました。正直、ホテルでいただいたものより美味しかったです。
「こんな柔かい角煮は食べたことがない!」主人も、子供たちもその美味しさにはビックリしておりました。

一切れだけでなくもっと食べたい・・・と言う子供たちの心の叫びが聞こえてきましたが、
それはバンコクに帰ってから、ママがしっかりと復習しようと思います(笑)

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クファ ジューシーは、思っていたよりさっぱりなお味で、「美味しい~~!!!」と子供たちからも絶賛♪
塩味がほんのり効いたご飯は、翌朝のおにぎりにもなるようにと、先生が握って下さってました(*^_^*)
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ハンダマの酢味噌和えは、イナムルチのお味噌の優しいお味がたまりません。
ピンク色に染まった酢味噌も、優しさを添えているような気がします。
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パパイヤイリチーも鰹のおだしがきいて、優しいお味なんです。
沖縄ではおっぱいがよく出るようにと、赤ちゃんを産んだあとによく食べるのだそうです。

この黒の器がとてもステキで先生にお聞きしたところ、先生がオーダーされた品なのだそうです!
沖縄の窯元やガラス工房もたくさん見かけました。もっと時間があればそんなところも訪れてみたかった~
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アオサ汁もあっさりとした優しいお味。アオサのぬるっとした感じと、濃厚な島豆腐の食感も楽しい♪

沖縄の言葉で「ぬちすぐい」は「命の薬」と言うそうですが、、命の薬とは母親の愛情であったり、
美味しい料理、人の優しさなど、心の中が暖かくなって癒されるような出来事をさす言葉だそうです。
こんな体にも優しいお料理たちは、まさに「医食同源」の「ぬちすぐい」なんだと思います。
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先生が市場での息子を見て、急遽増やして下さった一品の海ぶどう<(_ _)>
酢味噌をかけていただいたのですが、ぷちぷち&ぬるっとした食感が何とも言えず美味しい!

帰りにお土産にも海ぶどう持たせて下さったのですが、海ぶどうは常温保存なのだそうです!!!
冷蔵庫に入れてしまって萎んでしまう方も多いそうなので、教えていただいて助かりました<(_ _)>

さて、お楽しみの「ゴーヤムース」はどうなったことか。。。
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こんなかわいらしい姿で登場しました!
ゴーヤはソースに入っておりますが、子供もいるということで今日は控え目なんだそうです。
そのおかげで、子供たちももちろん完食(笑) ゴーヤのムースをいただいたと言うことも旅のよき思い出に。


家族揃って参加した市場見学&お料理教室、旅の思い出のよき一ページを飾ってくれました。
子供たちからは「自分で作ると美味しいね!」の声が聞こえたのも嬉しかったですし
また家に帰ってこのお料理を作った時に、楽しかった旅行の思い出がお料理とともに
家族みんなに蘇ってくれて話が弾むのも、また嬉しいことの一つです。


旅行中、こちらのお料理教室に行ってみたい!と言う方がいらしたら
旅行中の日程を組むとしたら、首里城見学、または空港近くのあたりに参加するのが、
一番効率よく、他のエリアの沖縄も回れるのではないか?と思います。

先生のお人柄と心遣い、そしてセンス、本当に美味しかったお料理の数々と、どれもみんな満足でした!
また沖縄を訪ずれることがあったら、先生に違うお料理を習いたい、そう思っています。




「よんなーフード 嘉陽かずみ料理教室303」
沖縄県那覇市寄宮2-5-8 リブラハウス303号室
Tel:098-832-7747
E-add:info@yonnerfood.jp
by treasure-bkklife | 2012-08-07 23:53 | Okinawa

牧志公設市場

さて、息子の勉強のあとは、沖縄でもママのお勉強に付き合ってもらうと言うことで(^_^;)
昨年の上海同様、家族揃ってお料理教室に参加することにしましたが、子供たちも楽しみにしておりました♪


インターネットで探して素敵なお教室を見つけたので、早速連絡を取らさせていただいたのが
よんなーフード 嘉陽かずみ料理教室303の嘉陽さん。沖縄の太陽のような、明るい素敵な方でした!

こちらの教室には たっぷりよんなーコースと言う沖縄の市場を見学して、
そのあとお料理を作る、旅行者にもピッタリのコースがあるのです。
嘉陽さんのオススメで夕方の5時に待ち合わせをして、作ったお料理をその日の夕飯としていただくことに♪


沖縄のメインストリートである「国際通り」で待ち合わせ、訪れたのは「沖縄の台所」でもあるこちらへ。
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牧志公設市場でございます。
こちらには裏手の「雑貨部」「衣類部」から入ったので、沖縄の民族衣装なども見ることが出来ましたが、
今日はこちらの鮮魚、食肉、乾物などの食料品の方で、お料理教室で使われる食材も一緒に購入します。


こちらの牧志公設市場は、戦後、自然にできた闇市が川沿い、川上に立っていたので
度重なる洪水等で衛生的にも問題が生じ、那覇市が米軍管理地を借用して1951年に開設した市場だそう。

スーパーやデパートの進出によって、牧志公設市場も店舗数も減少傾向にあるようですが
沖縄県の珍しい食材が安く購入できること、食堂で家庭料理が安く味わえることから
ガイドブック等に掲載されるようになり、観光客も多く訪れる場所になっているようです。

いつも買い物されるという先生には、お店や知り合いの方からの挨拶もあって、私たちも住人気分に(笑)
先生の説明を聞きながら市場を見学して行くので、ただ単に訪れるよりやっぱり楽しい!!!


まずは「場外」と呼ばれるところから。こちらには、お野菜や乾物などが並びます。
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イラブーと呼ばれる海ヘビに遭遇!
コラーゲンに含まれる成分たっぷりと言うことですが、やはり姿、形を見てしまうと勇気が出ないかも(^_^;)
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子供たちが「何、この木!」と叫んだ鰹節(^_^;)
かなり恥ずかしいものの、節のままのものを見たことがないので無理もありません。
幼い時に祖母がカンナのような箱で、「カッ、カッ」と音を立てて削ると、いい香りをしていたのを思い出します。

先生にお聞きしたのですが、沖縄料理は「だし」を丁寧にとるところから始まるそうなので
こんなに沢山の鰹節が売られているのですね♪
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沖縄では海藻もよく食べられます。今日のお料理には「アオサ」も登場しましたが、もずくなども多かった。

市場でも乾物屋さんが多いので先生にお聞きしたところ、食物がないものをおいしく食べる知恵なのだそう。
沖縄は「豊かな食」のイメージがあったのですが、こんな昔から知恵が生かされているのですね。
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息子が食いついた「海ブドウ」 これも海外暮らしの子供たちにはお初です。
この息子の目の輝きを見た先生が、特別にここで一品急遽増やして下さいました<(_ _)>
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沖縄では味噌を使う料理も多いようで、いろんな種類のお味噌が売っておりました。
東京でも下町で育ったせいか、小さい頃はまだ、こんなお味噌屋さんがあったのを思い出して懐かしい~


一応、野菜ソムリエですから、野菜は押さえておきたいところです(^_-)
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大きく深い緑の青パパイヤ。沖縄でもタイと同じく青パパイヤをよく食べるそうです。
バンコクから旅行に来ている私たちのために、先生が青パパイヤを使ったメニューも用意して下さいました!
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タイのヘチマは泥臭く感じることもありますが、沖縄でいただいたヘチマ料理は臭みはありませんでした!
ゴーヤは旅行中、いろんなお料理でいただきましたが、やっぱりこのほろ苦さが大人には美味しい♪
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このハンダマという葉は初めて!茹でるとさらに紫色になって、色がキレイなのです♪
どんなお味なのか生でもいただいてみたのですが、みょうがのような香りがほのかに感じられました。
きっと鉄分が多いのだろうな・・・と思うのですが、空芯菜のように火が入ると少し黒ずむような気も。


そして場外には、沖縄に来た~(^^)/と、旅行者が嬉しくなるような品々も。
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思わず微笑んでしまう(#^.^#) カワイイおばぁのサーターアンダギー❤
こんなおばあちゃんを、市場で沢山見かけました。お年寄りが大事にされているのはタイと同じですね♪
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沖縄と言えば泡盛(^_-)-☆ 先生から聞いて知ったのですが、泡盛はタイ米から作られているのです!
何回か泡盛を試したのですが、やっぱり私にはちょっと強すぎるかな~
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そしてアメリカが食文化にも根付いているのだな・・・と分かるような品々も見かけました。



場外から場内へと進みます。一歩踏み入れると、目に飛び込んできたのはこちらです!
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色とりどりの魚たちに思わず「うわ~っ、キレイ!」
一番手前が「赤マチ」ハマダイ、奥が「イラブチャー」武鯛など、沖縄ならではの名で呼ばれております。
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そしてこんな大きなエビに「すご~いっ、デカ~っ!」 カニなども大きくて、みんな生きているのです!
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このふぐのような愛嬌のある魚に「なんだ、こりゃ~っ!」と(^_^;)
感嘆符ばかりが続いて、まるで水族館に来たような気分です(笑)
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色をキラキラと変える夜行貝は初めてみて、本当に水族館みたいです(#^.^#)
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見たこともない魚に、さしみ、からあげ、バター焼きなどと、どんなお料理に合うかも書いてあって親切!
実はこちらの1Fで海鮮物を自分で選んで、2Fで調理してくれていただくことができるのです(^_-)-☆

ジャカルタやバンコクでも、青い魚など「トロピカル~」という魚を見かけることがあるのですが
やはり何となく「大味なのかな・・・」と勝手に思い込み、手が出ることがありませんでした。
後日、沖縄の海の幸を生かしたお寿司をいただくのですが、「あっ、美味しいんだ!」と目からウロコ<(_ _)>
お味は割と淡泊なものが多いので、からあげやバター焼きなどにしていただくことも多いようですよ♪


そして、お次は精肉のコーナーへ。
沖縄で肉と言えば「豚肉」!豚肉だけを取り扱っているお店が並びます。
鶏、牛を売っているお店は別になっていて、これは中国でもベトナムの市場でも同じでした。
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旅行中に何度もいただいたソーキ、スペアリブです。
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ブランド豚としても名高い、沖縄の「あぐー豚」 こちらも美味しくいただきました(^^)/
その他にも、「えっ、そんな名前のブランド豚、アリなんかいな。。。」と言うお肉にも、後々出会います♪
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こんなカワイク豚さんもおめかし(^_-)-☆ 沖縄の方の茶目っ気振りが伺えます♪


そして二階では、沖縄料理が楽しめるお店が。
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この時間は夕方5時台とお客様が少ない時間体でしたが、お昼などはかなりの人で混み合うようです。
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TVの撮影隊などもこちらにいらしているんですね! 
新鮮な素材で作られたお料理ですから、味に期待ができそうです。



沖縄のメインストリート「国際通り」からもほど近く、空港からも10分ほどと便利な場所にある市場。
沖縄の食を知って楽しんだり、味を楽しんだり、お土産を買うにもうってつけの場所だと思います。
特に今回は、この市場をよく知る先生とご一緒できたので、それは楽しい市場見学になりました♪


このあと材料を買って、お教室に移動します。
沖縄の庶民料理3品と、宮廷料理2品、そしてあの沖縄野菜を使った先生独自のスイーツまでもが登場!
バンコクでもすぐに役立ちそうなメニューの数々、ぜひ紹介したいと思います♪




「牧志公設市場」
沖縄県那覇市松尾2-10-1
Tel:098-862-9989
8:00~20:00 食堂(2F)は10:00~19:00
第4日曜日 ※鮮魚店は第2・4・5日曜休み。12月は無休
by treasure-bkklife | 2012-08-06 23:02 | Okinawa

ひめゆりの塔

旧海軍指令壕の後はひめゆりの塔へ。
何度も映画化され、ドラマにもなった「ひめゆりの塔」の話は、ご存じの方も多いかと思います。
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主人も私も初めての沖縄、ひめゆりの塔の話は何となく知っている程度で、詳しくは知りませんでした。

「ひめゆり」とは少女たちを可憐な花になぞらえているのだと思っておりましたが
「乙姫」と呼ばれる県立第一高等女学校、「白百合」と呼ばれる沖縄師範学校女子部を組み合わせた言葉。
全県下から難関を突破して集まった生徒たちは、恵まれた教育環境の中で学園生活を送っていましたが
15~19歳の生徒、そして教職員総計224名が、南風原の沖縄陸軍病院に看護要員として従軍することに。

当時の沖縄は「ひめゆり部隊」だけでなく、沖縄にあった21の男女中等学校から動員され、
女子学生は15歳から19歳まで、主に陸軍学校で看護活動にあたり
男子学徒は14歳から19歳、上級生は「鉄血勤皇隊」として物資輸送や橋の補修など
下級生は「逓信隊」として電線の修復や電報の配達に編成されたそうですが、
沖縄の全学徒のうち2,000名余が戦場で亡くなったということです・・・。
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これが「ひめゆりの塔」 思っていたよりも小さいものでした。
現在ひめゆりの塔が立っている井原は、沢山の自然洞窟が多く住民が避難していたのですが
南部に撤退した軍によって移動を余儀なくされ、軍や陸軍病院などが入ったそうです。
この頃の陸軍病院は医療器具や医薬品もほとんどなく、病院としての機能は失っており
学徒たちは砲弾の中、水くみや伝達、食糧確保にあたったと言うことです。
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右手前に見えるのが「ひめゆりの塔」。奥が従軍して亡くなった方の慰霊碑。
そして、その下に見えているのが、第三外科壕の入り口です。
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今でも毎日たくさんの献花が。沖縄の花らしいハイビスカスやひまわりの花々が。
「ピンクの花をあげたい・・・」そう言って娘が選んだ花を、そっと家族で献花させていただきました。


ひめゆりの学徒たちは、1945年3月23日に南風原の沖縄陸軍病院に動員。
4月1日に米軍が沖縄に上陸すると、負傷兵が次々と送られてくることになり、不眠不休で働き続けることに。
病院壕の中は血と膿と排泄物の悪臭が充満し、負傷者のうめき声が絶えなかったそうです。
負傷者の看護の他にも、戦火の中への水汲み、伝達、死体埋葬も、彼女たちの仕事だったそう。

そして、現在のひめゆりの塔がある第三外科壕に移動し、解散命令が6月18日に下されたあとは
自分たちの判断で行動しなくてはならないことになり、昼は草などの茂みに身をひそめ
攻撃が弱まる夜になると、負傷した学友を助け歩く者、砲弾に吹き飛ばされる者
そして、行き場を失い父母の名を叫びながら亡くなっていた者などもいたと知り、涙ながらに語れません。
解散命令前は犠牲者は19名であったのに対し、翌日早朝には第三外科壕に米兵によるガス弾などもあり
解散命令後の数日で、ひめゆり学徒は100名あまりが亡くなることに。

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中庭に咲く可憐な花。ひめゆりの少女たちの魂を慰めてくれるでしょうか・・・。

資料館の中は撮影禁止ですが、当時を物語るたくさんの資料が展示されておりました。
その中でも一番記憶に残ったのが、生き残った「ひめゆり部隊」の方々が語るビデオでした。
座ってみるスペースがあるのですが、30分くらいでしょうか、子供たちは真剣なまなざしで
一言も逃すまいとして、聴いているのが印象的でした。

そのビデオの中の当時の証言では、想像するも恐ろしい、壮絶な場面の数々が。
看護婦として働く壕の中で爆撃に出会い、友達の暖かい返り血を浴び、友達を目の前で失ったもの
軍の命令により移動せざるを得ず、重傷の友達を置いていく決断を迫られたもの
米兵からの攻撃を逃れるため、一人で必死に隠れてさまよう中、
どうしようもない喉の渇きから、汚臭の漂う汚物や死体からの液が混じった泥水を飲むしかなかったもの
これが15歳から19歳の少女に起きたことだとしたら、本当に残酷という言葉以外にありません。。。

資料館には、それぞれが当時のことを書いた作文もありました。
それを読むと、目にも恐ろしいとしか言えない光景が思い浮かびます。
「なぜ、こんなことをするの・・・」娘が私と主人に尋ねてきました。
「それが戦争というものなんだよ・・・」経験のない私と主人にはそれしか返事が出来ませんでしたが
人を狂気に追いやるものが、やはり「戦争」なんだと私も痛感しました。


今回、旧海軍司令壕、ひめゆりの塔を訪れて、改めて「戦争の悲惨さ・平和の大切さ」を思い知らされました。
父も東京大空襲の経験者。今の娘と同じ年ぐらいの時ですが、その話は私が幼い時より聞いていました。
羽田空港近くに住んでいたのですが、蒲田のあたりまでは焼野原だったと聞いています。
空襲を避けるためにどぶ川の堀に逃げ込んだそうなのですが、煮えたぎれる川に飛び込み亡くなった方や
食べるものがなく、道端のたんぽぽも拾って食べたと言う話に衝撃を受けたのを覚えています。

母は、祖父がエンジニアの仕事をしていたそうで、当時の朝鮮で生まれ育ったそうです。
祖母が、終戦後に日本に逃げ帰る道は険しく、一人っ子でなければ連れて帰れなかったかも知れないと
言っていたのは今でも忘れられません。

両家の父と母、そして祖父と祖母が一人でも戦争で欠けていたら、私や主人は生まれてくることが出来ず
息子や娘も・・・と思うと、命のありがたさに感謝せずにいられません。
それには多くの沖縄の方々が本土上陸を避けるため犠牲になったこと、決して忘れてはいけない
そして平和を願うために、子供たちに語り継いでいかなくてはいけないのだと思います。


沖縄旅行の最終日、読谷から車を走らせて南の方まで。
沖縄中部あたりの車窓からは、ずっとこんな景色が続いておりました。
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沖縄に駐屯する米軍基地。フェンスの街が続いていました。
ニュースで知っていた地名の「嘉手納」「普天間」が、ぐっと現実味を帯びて身近なものに見えました。
周辺では大型犬を連れた欧米人が、ジョギングしたりという平和な風景も見られましたが、
フェンスの中はジープなどの物々しいものも見当たり、「ここが基地なのだ」ということを実感させられました。

沖縄の人にしてみれば、第二次大戦では本土を守るために犠牲になり
今なお、基地という犠牲を強いられなければならないのか、そんな心の叫びが聞こえたような気がします。


「なぜ、基地を日本におかなくてはいけないの?」そんな質問も子供たちから飛び出しました。
憲法9条の話、自衛隊の話、そして日米安保条約の話などを話しましたが
「埋立地を作り基地をおいたらどうか」「みんなの犠牲になっているのだから、せめて税金を免除したらどうか」
子供たちからは自分なりに考えて、こんな意見も飛び出しました。

もちろん子供たちが考えるように、簡単に事が運ぶような問題ではないのですが、
「決して他人事にせず自分のことと捉えて、一緒に考え行動していく」ことが大切なのではないかと。
そしてこれは、原発で苦しんでいる「福島」の方を始めとする、原発の問題も同じではないかと
そんな話を親子でするきっかけにもなりました。


実は息子は2年前のカンチャナブリへの修学旅行で、日本兵が沢山の英兵、米兵を殺戮したことを
欧米の子供たちが多くいる中で日本人一人で聞き、いたたまれなくなって木の影に隠れてしまったところ
アメリカ人の大親友がその気持ちを察して、ポンポンと肩を叩いてくれて、気持ちが救われたそう。。。
その話を聞いて、私も本当にそのお友達の思いやりが嬉しかった。。。
こんな身近な相互理解から、今も続く戦争が世の中からなくなればいいと心から願います。

今後、息子が今回の沖縄旅行で感じたことを、どのようにまとめていくのでしょうか。
日本人として誇りを持って、堂々とクラスのお友達に「平和への願い」を伝えて欲しい、そう願っています。



「しらゆりの塔」
沖縄県糸満市字井原671-1
Tel:098-997-2100
9am-5:30pm (入館は5pmまで)
大人    300円
高校生   200円
小中学生 200円
by treasure-bkklife | 2012-08-04 23:05 | Okinawa

旧海軍司令部壕

今回の沖縄旅行の最大の目的は、「第二次世界大戦を知る」と言うことでございました。

8月から6年生になる息子は、今年学校で「World War Ⅱ」について勉強することになるそうで
イギリス式のインターに通っている日本人には、正直辛い場面もあると聞いておりました。
だからこそネットや文献で調べたことだけでなく、自分の肌で感じ、自分で考えたことを
敗戦国の立場から見た「戦争の悲惨さ」、そして「二度と繰り返してはいけない」と言うことを
様々な国から集まる友達たちに、プレゼンテーションの時に自分自身の言葉で伝えることが出来ないか・・・
そんなことを考えて、親子で調べて計画した旅行でした。

原爆が投下された「広島」「長崎」への旅行も当初考えましたが、唯一の地上戦になり多くの犠牲者を出し
さらに今年、本土返還40周年を迎え、今なお、最近では「オスプレイ」を始めとする基地問題に苦しむ
「沖縄」が一番ふさわしい場所ではないかと考え、今回の旅行先に選ぶことに。


沖縄には沢山の戦跡がありますが、その中でも旧海軍司令部壕
日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部のあった所で、今もその壕の一部が公開されている貴重な戦跡。
「当時のままの壕で、戦争の悲惨さ、平和の尊さを考えてみよう、
 日本で唯一、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が行われた沖縄戦」 と言う、こちらを訪れることに。


この日の沖縄は雨まじり。どうやら私たちは台風と一緒に上陸してしまったようです(笑)
旧海軍壕がある、海軍壕公園までやってきました。
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海軍壕公園は東シナ海、那覇市内、首里城が見渡せる位置にありますが、この日はあいにくの雨。
しとしとと降る雨の風情が、また一層、戦争の悲惨さ・無念さを伝えるような気がしてなりませんでした。

この場所が海軍司令部壕に選ばれたのは、海軍の小禄飛行場に近い高台で、周辺を見渡すことのでき
見晴らしもよく、戦闘に入った場合でも、肉眼でも敵・味方全体が掌握しやすいなどがあったようです。

ここは琉球王国時代は、中国から来る船や異国船の来航をいち早く知るために、
久米島や慶良間の島々でのろしを上げて、いち早く首里城へ伝えた場所でもあったそうなので、
昔から琉球、沖縄の方々にとって重要な場所。そして、今では市民に憩いの場所となっているそうです。
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この下にある海軍壕では、沢山の方がお亡くなりになっているそうです。
慰霊塔に手を合わせて、遠い昔に思いをはせて祈りました。。。

この海軍壕で見つけられた遺骨は、現在では平和記念公園内にある「国立沖縄戦没者墓苑」が建設され、
沖縄戦の犠牲となった他の遺骨と一緒に合祀され、永遠の眠りにつかれているそうです。


この海軍壕公園の中には資料館がございます。
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この時は戦争記録写真展が行われており、まずはこちらを見学することに。
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階段を下りていくと、まず息子の目が輝いたのはこの「戦艦 ヤマト」
昨年、木村拓哉主演の「BattleShip Yamato」を見て、何度もダンボールで模型を作っていましたから。

息子、いや、私たちにとっても、アニメ、そして映画の世界でしかなかったヤマトですが、
実際には昭和20年4月6日、本土から沖縄に向け航海中、翌日沖ノ島で米軍潜水艦により発見され、
386機の艦艇機により撃墜され、2,531人が命を落としたそう・・・

そして、私も主人も思わず息を呑んだのが、この数字。
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こんなに沢山の方が、沖縄戦で亡くなっているという現実。
そして、沖縄の一般県民、戦闘参加者、県出身軍人・軍属の方など122,228名という尊い命を失ったことに。
「ひめゆりの塔」の話はなんとなく知っていたけれど、これほどの方が亡くなっていようとは。。。
その他にも様々な資料が。米軍からのおびただしいほどの砲弾の数は、なんと2,716,691発も!!!
これは沖縄県民57万4,368人に対して割ると、一人あたり4.72発になるなど、明かされる歴史の数々が。
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ブログにはとてもUPできないような、凄惨たる写真もたくさん並んでおりましたが、
子供たちは悲痛な顔ながらも、真剣に落ち着いて見ておりました。

ベトナムの戦争資料館では、枯葉剤の影響による胎児のホルマリン漬けなどもありましたが
やはり母国ということもあり、それ以上に写真一枚一枚に、心が締め付けられる思いです。
そんな中、こんな一枚の写真を見つけました。
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「墓から救い出され米兵から食糧をもらう少女」
こんなこともあったのかと思うと、少し救われた思いがいたしました。


そして、実際、戦時に使われていたと言う司令部壕に入っていきます。
こちらは、昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で
当時は450mもの長さがあったと言われております。
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カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固めておりますが、全て手作業だったとのこと!
米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていたようです。

戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、
観光開発事業団によって司令官室を中心に、300mが復元されたとそうです。
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司令官室、暗号室、作戦室など、様々な部屋が壕の中に広がります。
玉砕近い昭和20年6月頃には、あまりの人数に立って眠るしかなかったそうです。
当初は排泄は外ですることになっておりましたが、戦争が激化し外に出ることも危険な状態に。
最期は病人や亡くなった方、そして排泄物の臭いなので、壕の中は劣悪きわめている状態だったようです。

そして当時の幕僚室では、幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとが当時のままくっきりと残っており
どんな思いで自決していったのだろうかと・・・ 家族で静かに手を合わせました。
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この場所が、この壕から外に飛び出していく場所。
ここから多くの方が出兵されていき、二度と戻ることがなかったそうです。。。


そして、私たちが沖縄戦の現実を改めて知ることになる、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と言う題の一通の電文が。
当時、旧海軍司令部壕の司令官であった大田實少将が海軍次官に宛てた
沖縄県民の献身的作戦協力について訴えた電報が残っているのです。
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「沖縄県民はこのように戦いました」   
                         太田司令官の電文

 昭和20年6月6日 20時16分
次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう、取り計らって下さい。

 沖縄県民の実情につきましては、県知事より報告されるべきですが、
県にはすでに通信する力はなく、32軍(沖縄守備軍)司令部もまた通信する力がないと認められますので、
私は、県知事に頼まれた訳ではないのですが、現状をそのまま見過ごすことができないので、
代わって緊急にお知らせいたします。

 沖縄に敵が攻撃が始って以来、陸海軍とも戦闘にあけくれ、
県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕がありませんでした。
しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためにかりだされ
残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで
軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、
雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。

 しかも、若い女性は進んで身を軍隊にささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、
防弾運びや切り込み隊への参加を申し出るものさえもいます。
敵が来れば老人、子供は殺され、女性は後方に運び込まれ暴行されてしまうからと、
親子が生き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

 看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、
身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。
このような行動は、一時の感情にかられてとのこととは思えません。
さらに、軍の大きな作戦変更があって、遠く離れた住民地を指定された時、輸送力のないものは
夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

 これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、
県民は最初から最後まで勤労奉仕や物質の節約を強いられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら
ついに(不明)報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

 沖縄の実績は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい
食べ物も6月一杯を支えるだけだということです。

沖縄県民はこのようにして戦いました。県民に対しても後世特別のご配慮をして下さいますように。
 (この電文は原文を、現代文に直したものだそうです)


こちらでも外国人の方を見かけましたが、この電文は英語訳も飾られておりました。
この電文を打った1週間後の6月13日に、太田司令官以下5名がこの壕の中で自決されたそうです。

太田司令官が沖縄に赴任したのは1945年1月、沖縄には6ケ月程の赴任だったそうですが、
当時の沖縄知事から「いかに県民が苦しんでいるのか」をよく聞き、また自らも視察していたそう。
「今、自分が報告しておかなければ、将来県民が忘れられてしまうのではないか・・・」と言う気持ちから
自決の一週間前に、電文を送ったのではないかと考えられているようです。

最初から最後まで戦い抜き、報われることなく戦闘の最期を迎えた沖縄の方に対して、
後世に特別の配慮を上に願い出ながら、自決していった太田司令官。
その最期の願いは、今、本当に叶えられているのだろうか?
今もなお、沖縄の方たちの中では戦争は終わっていないのではないか? 
そんなことをこの後も何度も考える旅になることに。。。


本土を守るために時間を稼ぐべく、持久戦に持ち込むしかなかった沖縄戦。
こんな惨い事実を、同じ日本人として日本に30年も住んでいながら、今まで知ることはありませんでした。。。

20年前の学生時代にNYに語学遊学(笑)した時に、仲良くなった韓国人のクラスメイトから
日本軍が韓国の方に強いた「従軍慰安婦」の話を聞き、同じ国の人間として申し訳ないと言う気持ちともに、
自分の国のことなのに「何も知らなかった」と言う、強いショックを受けたことを思い出しましたが
まだまだ戦争の話については、明かされていない史実が沢山あるのだと、改めて思い知らされました。


「真実を知らないと言うことは、怖いことだ」。。。そんな風にも感じた旧海軍司令部壕の見学でした。
こちらを訪れるにも当初は迷いましたが、平和を願うからこそ真実を知れてよかったと。。。
やっぱり訪れてよかったと思っています。

真剣に何度も英語の記述を読み、何枚も写真を撮っていた息子。。
何を感じ取って、友達に伝えようとしているのでしょうか。
そして、次に、もう一つの戦跡、「ひめゆりの塔」へと向かいます。




「旧海軍司令部壕」
沖縄県豊見城市字豊見城236番地
Tel:098-850-4055
8:30~17:30(7月~9月)
8:30~17:00(10月~6月)
年中無休
一般 大人420円 子供210円
団体 大人380円 子供180円
by treasure-bkklife | 2012-08-02 21:58 | Okinawa

海洋食堂

さあ、今年の夏休みのお楽しみ!常夏の島、沖縄へ!!! 

沖縄は名古屋から2時間ちょっと、韓国や台湾に行くのとあまり変わらないフライト時間ですが
安いタイやアジア価格に慣れてしまったせいもあるのですが、旅費やホテルの料金はとっても高くて
久々の日本旅行の値段にビックリしちゃいました(^_^;) これは海外旅行が増えるはずだわっ。
 

日本のホテルのシステムはルームチャージ制でなく、何名かで決まるので高くなってしまいます。
まあ、今回の旅行はある「目的」があったので仕方ありませんが・・・。
ツアーでなければ、ホテルはHPなどで「90日前」などの早割予約を利用するのが、どうもお得なようです♪


今回の沖縄旅行、本島の北から南までをくまなく回る予定なので、まずはレンタカーと借りることに。
レンタカーは、価格やサービスなど他のレンタカー会社と比較して、
地元のレンタカー会社のフジ レンタカーで、空港送迎付きでお借りました。

夏休み前の6日間、1,300Lクラスのトヨタ・ヴィッツだったのですが、ガソリン代含めて29,000円ぐらい!
大人二人、子供二人とトランク2つの旅でしたが、車内もまだまだ余裕もあって
カーナビ付き、しかも新車同然のキレイな禁煙車が来たので、お得感満載でございました~♪



さて、まずは今回の旅の目的の一つでもある、目的地に向かう前に腹ごしらえをと。
食いしん坊の私としては、地元の方が足繁く通うお店で「沖縄の地元の味」を知るのも旅の目的の一つ。

そんなお店の中から、わりと空港にもほど近い(と思われた)、こちらのお店に行ってみました。
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豊見城市にある、海洋食堂でございます♪
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「いらっしゃいませ」の言葉が優しい、昔ながらの暖かい雰囲気のお店です。


「海洋」と言う名ですが、決して海鮮のお店ではありません。
こちらの海洋食堂は昔、豆腐屋さんを開いていたそうなのですが、今はその自家製の豆腐を使って
地元の方からも美味しいと評判の、食堂を開かれているそうです。
店名は沖縄で海洋博が開かれた年にお店をオープンされたとあって、「海洋食堂」と名付けられたのだそう。

多くのブロガーさん、特に男性が多いようですが、沢山の方が情報をUPされているお店です。
訪れたのち、なぜに男性が多いのかよ~く分かりましたので、その写真をお楽しみ下さい(^^)/
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時間はお昼時ちょっと前、すでに沢山の方がいらっしゃっておりました。
他の食堂でもそうだったのですが、椅子席、そして畳にちゃぶ台のような席があって、
何だか「昭和」って感じがして、とても懐かしい~
地元の老若男女の方はもちろん、旅行者と思われる方もいらっしゃっていました。
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たくさんのメニューなのですが、何だかお料理が想像がつかないネーミングもちらほらと。
こんな時は、ブログでも見かけた、やっぱり名物だと言う「豆腐」料理をチョイスしようと。


ところで、こちらには名物の看板娘?!、いや、しっかりものの威勢のよいおばぁ(失礼!)がいらっしゃって、
こんなに混雑しているにもかかわらず、全てのメニューを覚えきり、そしてお勘定もされているのです!
時にはお客さんが「はっきり言ってくれないと、分からないよ~」なんて、言われちゃったりしてる場面も(笑)
厨房では3人の方が次々とお料理を仕上げられていて、何だか昔の日本を見ているようで気持ちいい~❤


そうこうしているうちに、お料理が運ばれてきて、一瞬、主人と自分の目を疑いました(笑)
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豆腐ンブサー定食
定食には、おかず、ごはん、おから、汁物までついてきて、その量にビックリ!!! しかも650円!!!!
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この豆腐の量をご覧くださいませ!!! きっと普通の豆腐3丁はあるのではないかという量。
沖縄の「島どうふ」を使っているのですが、島どうふの中では柔かいそうで、プルプルなんです。

「ンブサー」とは、炒め物系のチャンプルーと並んで、沖縄ではポピュラーな料理法でらしく
豆腐や豚肉、季節の野菜などを、豚だしとみそで柔らかく煮込んだ汁気の多い煮物のことらしいです。
後日のお料理教室で習ったのですが、沖縄ではダシを丁寧にとって、いろんな種類のお味噌を使うのです。

この豆腐ンブサー、一口食べて「あっ、美味しい~」と !!! 
ほろりとくずれるお豆腐の濃厚な美味しさが、何とも言えませ~ん❤❤
一緒に煮こまれている豚肉も決してしつこくない、あっさりとしているけれどコクがあるお味。
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おから
いつもいただく「卯の花」よりも薄味の、あっさりとしたお味。
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吸い物にはミニ沖縄そばの汁物。このあっさりとしたスープが美味しかった♪


主人はこちらをチョイスして、たまには仲良く(笑) 私とシェアすることに。
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豆腐チャンプルー定食。こちらも、またまたガッツリ系(笑)
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こちらの豆腐チャンプルーも、柔かくくずれるお豆腐のお味と絡まった卵がなんとも言えません。
あえて言えば、「豆が生きてる~」って感じ(笑) お味は薄味で、シンプルな塩味です。

豆腐ンブサーも、豆腐チャンプルーも、本当にお豆腐の美味しさがしみじみと伝わってきました。
でも嬉しいことなのですが、ちょっと量が多く「あっ、もういいかも。。。」と、さすがの私でも思ってしまいました。
違うものが少しずつ・・・であれば食べられるのですが、一品が「ドカーン」と言うのは女性にはちょっと辛い・・
でも、美味しいお店なのでオススメ! 女性なら2人で一人前ぐらいだと、ちょうどいいかも知れません。


そして、もっと圧巻だったのはこちらです♪
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ソーキ定食 息子がオーダーしたのですが、本当にその量はビックリ仰天でございました~
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「ソーキ」とは、豚の「スペアリブ」とのことで、髪をすくなどの「梳き」がなまって「ソーキ」となり
スペアリブの肋骨が櫛に似ていることから、沖縄では「ソーキ」と呼ばれるそうでございます。

ソーキは醤油、泡盛、黒糖、昆布、鰹だしなどの煮汁に長時間柔かくなるまで煮込むそうで、
昆布や大根、豆腐などと一緒に煮つけにしたり、そばの上に乗せると「ソーキそば」となるようです。

こちらのソーキは、大根、ニンジン、こんにゃく、長ネギ、昆布、青梗菜などと一緒に盛られていて
この一皿だけで、十分に栄養満点な一品に。
息子からもらったソーキは、やはりホロホロと骨から剥がれるように柔かく、本当に美味でございました♪
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こちらの定食は、お赤飯までついて。これに手を出し過ぎてしまうと、絶対ソーキが食べきれないの!!!


そして、娘はやっぱりこれでした。
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肉そば こちらもすごいボリュームでしょ(笑)
まったく麺が見えないほどに、上に乗った野菜やお肉もてんこ盛り。
スープは鰹だしなのか、あっさりして食べやすい~


他にも、沖縄名物の「ゆし豆腐」を使った「ゆし豆腐そば」なども、人気のメニューのようでございます。
沖縄は、とにかく量はとっても多い! 我が家は4人ですが、この後は3人分を頼むことに決定(笑)
お料理教室の先生がおっしゃっていたのですが、「沖縄ではたくさんのお料理を出すことが礼儀」だそう。
これも琉球の時代に清の国と交流があったように、中国の影響が大きいのかも知れませんね。


こちらのお店の看板は決して大きくないので、見逃してしまうかも知れませんのでご注意を。
また、駐車場も沢山はないので、お昼時などの混雑している時間帯の駐車は大変かもしれませんが、
それだけ地元の方に愛され、多くのお客様で混雑しているお店ですので、一度お試しくださいませ♪


この後は、沖縄旅行の最大の目的でもある、「過去の歴史」を紐解きに。。。
日本人として知っておきたい、私たちも知らない過去の真実を、しっかりと子供とも一緒に向き合いたい。
真実は時として残酷ですが、目を背けずに、行ってこようと思ってます。。。


(この後、2件ほど、第二次世界対戦の話を続いて掲載する予定です。
 もし苦手な方がいらっしゃったら、スルーして下さいますようお願いいたします<(_ _)>)



 
「海洋食堂」
沖縄県豊見城市名嘉地192-10
Tel:098-850-2443
10:00 ~ 19:30 (L.O.19:00)
定休日 日曜
by treasure-bkklife | 2012-08-01 19:04 | Okinawa